九州大会観戦記

2016年6月12日。朝からしとしとと雨が降りしきる中、大分県佐伯市市民総合プールにて九州大会が開催された。

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本大会はジャパンパラの選考会として開催され、基準タイムを超えた選手はジャパンパラの出場権を獲得する。地方大会といえども138名の選手が出場し、多くの応援団も来場し、会場は大盛況を見せた。

 

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選手宣誓の様子

全員が同じスタートラインではない。障がい者競技の選手は一人一人に異なる障がいがある。その固有の障がいの中で公正に競技を行うために、「クラス分け」を行う。これは選手達の泳ぎや実際に診察することによって行われ、同程度の障がいと診断された選手同士が競えるように調整できるものである。クラス分けで、泳法ごとに9〜10段階に分けられる。例えば平泳ぎで身体障がい者の場合、クラスはSB1からSB9までの9段階となり、数字が小さいほど重度の障がいとなる。それぞれに順位と記録、そしてジャパンパラへの出場権が与えられる。

 

クラス分け%e4%b9%9d%e5%b7%9e%ef%bc%93

一方で、視覚障がい者の場合も同様に、一人一人見え方は様々である。しかし、クラス分けを行うのではなく、「ブラックゴーグル」と呼ばれる視界だけでなく、光を完全に遮断するゴーグルを全員が装着する事で一人一人の選手の差を無くしている。この影響で、選手達は全く視界がない状態で泳ぐことになる。ここで問題になるのは「ターン」。視界がない状態でのターンは危険を伴う。これを解決するのが「タッピング」。介護者がターンの直前で先にスポンジがついた棒で選手の頭を叩いて「ターン位置の到来」を教える。

 

タッピング

しかしこのタッピングには技術が必要で、選手と息を合わせなければ成功しない。このタッピングで試合の記録が左右されることもある。%e4%b9%9d%e5%b7%9e%ef%bc%94

障がい者水泳の魅力を「陸上では自由に動く事が出来ないが、水中では手を動かせば動く事が出来るところ」と語ったのは1996年アトランタパラリンピックで金メダルを獲得した梶原紀子選手(SB4,S5ー福岡チャレンジャーSC)。ここ20年で1番変わったのは「認知度」。「アトランタ五輪ではメダル確実と言われている競泳陣はまさかのメダルなしで、一方パラでは8個の金メダルを獲得しました。そこくらいから障がい者水泳の認知度が段々高まっていったのかなって思います」(梶原)。

現在、日本全国を6ブロックに分けて地方大会を行っているが、その地方大会はさらに上位の大会、つまり、ジャパンパラ水泳競技大会や日本身体障がい水泳選手権大会に繋がっている。この為上を目指す選手達が大会に集結するようになった。当然選手達は切磋琢磨し、新たな高みへと駆け上る。このシステムが構築されてから日本の障がい者水泳のレベルは上昇した。

 

泳法 テクニック

健常者の水泳にはない障がい者水泳だからこその楽しさ、それは各選手が持っているテクニックだ。

平泳ぎを専門とする梶原選手は脚を使う事ができない。医者やコーチからは平泳ぎは脚で泳ぐものだから、出来ないと言われ続けていた。しかし、それでも続けたいと志願し、コーチ陣は「手だけでも進む平泳ぎ」を悩み抜いた末に考案した。「私も何百通りの泳ぎ方で泳がされたか覚えてないですけど、2年がかりくらいでようやく完成しました」(梶原)。まさに%e4%b9%9d%e5%b7%9e%ef%bc%95血反吐を吐く思いで生み出されたこの泳ぎ。脚を全く使ってないにもかかわらず驚くほどの推進力がある。このような「技術」は一人一人の選手が持っている。水泳が好きでたまらない気持ち。それに加えて一人一人の「自分だけの武器」を携えて試合に挑む。その勝負には目を奪われる。

また、障がい者水泳は幅広い年齢層の選手達が出場している。「ベストのタイムが出るように一生懸命練習してきた」と語ったのは福田果音選手(SB9,S9)。彼女はまだ10歳。本格的に大会に出場したのは今大会が初めてだ。しかし、初出場の大会で好成績を収めつつも、まだまだ上を目指す気持ちは一流選手と大差ない。このような若手選手も数多く出場した。この世代の選手は東京パラリンピックで活躍してくれるのは間違いない。

若手選手と、これまで日本の障がい者水泳を引っ張ってきたベテラン選手が同じ大会で切磋琢磨しあう環境が整っている。この状況が続いていけば、2020年にはこう呼ばれているだろう。

「水泳王国、ニッポン」と。

 

記:広報インターン 高橋廉太朗(慶應義塾大学慶應スポーツ新聞会)